1: けんもですの 2025/02/22(土) 22:15:59.23 ID:++N3eJz80●.net BE:399583221-PLT(13072)
Q 日本橋から京まで、何日くらいかかっていたのですか?
A 一般的に、徒歩で13日から15日前後かかっていたようです。
江戸日本橋から京都三条大橋までの距離は約492km。15日とすると、1日平均約33kmも歩く計算になります。
元禄年間に日本に滞在したドイツ人医師ケンペルは、2回江戸に来ていますが、一度目は3月2日に京都を出発し、途中駕籠や馬に乗るものの、3月13日に江戸に到着、12日の旅でした。
また幕末に日本を訪れたオランダのお抱え医師シーボルトは、3月25日に京を出て4月10日に江戸に到着していますから、17日の旅です。
『東海道中膝栗毛』では、弥次郎兵衛・喜多八の2人は江戸から四日市まで12日かかっています。このあと東海道を離れ伊勢参りをしたあと奈良を回って京に出ます。
下の表は、神奈川県内の東海道に限って、ケンペル、ツュンベロー(植物学者)、シーボルト3人の行程をまとめたものです。
Q7 飛脚は東海道を何日くらいかかったの?
A7 江戸時代、今の郵便や電話の役目をしていたのが飛脚です。幕府は、各宿場に飛脚を置いて、公用の手紙や荷物をリレーしながら目的地まで届けました。江戸から京都までは約492km、普通、歩くと2週間ほどかかりますが、飛脚はわずか3~4日で走ったのです。
宿場には、人馬の継立、旅人の宿泊、通信業務という3大任務がありましたが、通信業務とは幕府の公用の文書を入れた御用箱を輸送することです。そのために各宿に置かれたのが幕府公用の継飛脚で、その代価として幕府は宿に継飛脚給米を与えました。
このほか諸大名の大名飛脚や民間の町飛脚がありました。
江戸時代からの飛脚制度は、明治になっても続き、手紙・小荷物の輸送を続けていましたが、明治4年(1871)に郵便制度が官営になったことで、貨物の輸送だけとなったため、明治5年、飛脚業者は結束して陸運元会社を設立しました。
https://www.ktr.mlit.go.jp/yokohama/tokaido/02_tokaido/04_qa/index4/answer2.htm
A 一般的に、徒歩で13日から15日前後かかっていたようです。
江戸日本橋から京都三条大橋までの距離は約492km。15日とすると、1日平均約33kmも歩く計算になります。
元禄年間に日本に滞在したドイツ人医師ケンペルは、2回江戸に来ていますが、一度目は3月2日に京都を出発し、途中駕籠や馬に乗るものの、3月13日に江戸に到着、12日の旅でした。
また幕末に日本を訪れたオランダのお抱え医師シーボルトは、3月25日に京を出て4月10日に江戸に到着していますから、17日の旅です。
『東海道中膝栗毛』では、弥次郎兵衛・喜多八の2人は江戸から四日市まで12日かかっています。このあと東海道を離れ伊勢参りをしたあと奈良を回って京に出ます。
下の表は、神奈川県内の東海道に限って、ケンペル、ツュンベロー(植物学者)、シーボルト3人の行程をまとめたものです。
Q7 飛脚は東海道を何日くらいかかったの?
A7 江戸時代、今の郵便や電話の役目をしていたのが飛脚です。幕府は、各宿場に飛脚を置いて、公用の手紙や荷物をリレーしながら目的地まで届けました。江戸から京都までは約492km、普通、歩くと2週間ほどかかりますが、飛脚はわずか3~4日で走ったのです。
宿場には、人馬の継立、旅人の宿泊、通信業務という3大任務がありましたが、通信業務とは幕府の公用の文書を入れた御用箱を輸送することです。そのために各宿に置かれたのが幕府公用の継飛脚で、その代価として幕府は宿に継飛脚給米を与えました。
このほか諸大名の大名飛脚や民間の町飛脚がありました。
江戸時代からの飛脚制度は、明治になっても続き、手紙・小荷物の輸送を続けていましたが、明治4年(1871)に郵便制度が官営になったことで、貨物の輸送だけとなったため、明治5年、飛脚業者は結束して陸運元会社を設立しました。
https://www.ktr.mlit.go.jp/yokohama/tokaido/02_tokaido/04_qa/index4/answer2.htm
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